キウイ好きな人の日常。。。

趣味の読書やTRPG、あとは日々のあれこれについて書いてます。毎日が運動不足です。

読書感想<現代詩人探偵>

こんにちは。好きな紅茶はセイロンティー。いのこです。

先日、紅玉いづき先生の初ミステリ小説と宣伝されている<現代詩人探偵>を読みました。紅玉先生の作品を初めて読んだのは、デビュー作の「ミミズクと夜の王」。あの少女とフクロウの、メルヘンのようなファンタジーのような、『とある時代のとある場所』のお話でした。あれを読んだとき、なんというか、とてもたまらなくて泣いた覚えがあります。

ただただ、あの少女を巡るお話が愛しくて、自分ではない誰が幸せになってほしいと願って止まない優しい人たちの物語がうれしくて。そこからファンになり、全作網羅しているわけではないですが、楽しく読ませてもらっています。紅玉先生の小説のイメージは『御伽噺』でした。

でも、この作品は違いました。詩と死のお話でした。

自分はネタバレがない場合、作者さんの『あとがき』を先に読むのが好きだったりします。どんな思いで書いたのかな、という興味。それを踏まえて読むのが、好きなんです。

そしてこの作品も『あとがき』を先に読みました。そこには

「この物語を書いている間中、つらくて苦しい、と思い続けました。」

紅玉いづき著<現代詩人探偵> あとがきより

とあるのですが、それがそのまま作品に反映されていました。

読んでしばらくして、「あぁ、これは。ツライぞ。」と。「なんでまた、こんな苦しいのを選んだんだろう」と。そんな風に思いながら読み進めていきました。自分が感じた『辛い』『苦しい』は、作品を卑下する感情ではありません。好き嫌いでもありません。というか、好きか嫌いかでいえば好きな部類です。ただ、これまで紅玉先生が作り上げてきた物語たちとはあまりに違うような、同じだけど、その中でも辛く苦しい部分を抜き出したような。そんな物語でした。

紅玉先生の作品の中ではわりかし少数派かな?一人称の文体なのですが、これが苦しさに拍車をかけているような気がします。もうね、主人公の感情というか思考が三人称の文体よりもダイレクトに書き連ねられているんですが・・・・それが、こう。余計にキッツイ。「うーーわーーー・・・」とたまに顔を本から上げて、深呼吸しなきゃ。飲まれるぞこれ。引き摺られてしまうぞ、気をつけろよ自分。ただでさえ感情移入しやすいんだから・・・!と、言い聞かせながら読んでました。

 

以下、ネタバレというか物語りに触れる感想なので畳みます。未読の方は要注意。

・・・・・

いやはや。探偵くんね。ネガティブすぎるじゃん!?と思いながらも、あーでもわかるーーうわーーーわかっちゃいかんやつな気がするけどわかるーーーー。っていうのが正直な感想です。

ミステリ小説とありますが、自分はこれは「ミステリ・・・?」と思いながら読んでおりました。人の死があり、死の理由がわからず、その動機というか足跡というか轍というか。「なんで死んでしまったのか」「どうして死ぬしかなかったのか」を主人公くんが辿る、暴くお話。かな?

いわゆる<探偵小説>としての謎解きモノではないですね。故人が死ぬしかなかった理由を突き止めて、「謎は解けた!」という爽快感はひとつもありませんでしたもから。

謎はありました。どうして彼らは死んでしまったのか、死ぬしかなかったのかという。

きっと殺人もありました。そして、殺さざるを得なかった動悸も。

でもそれは、登場人物の誰の心も慰めなかったし報われる人もたぶんいなかったという結末。ただのエゴだけで人の死の理由を暴く。暴いた先にあったのは、ため息をつくしかない、やりきれないような現実だった。というね。ツッライ!!

 

この作品で唯一ポジティブな要素といえば、幼馴染の棗さんでしょうか。すっごい酷い言われ様ですが・・・。主人公である探偵くんの信者的キャラクターです。キミ、なんでそんなに探偵くんに肩入れしてるの?すごい言われ様だよ??と問いかけたい。でも続編があるなら、そんな彼の目線からのお話も読んでみたいなーと思います。

棗さんから見た、探偵くんと探偵くんの誌はどんな風にうつってるんだろう。まるで世界一美しいもののように、世界一愛しいもののように言うんだもの。恋愛よりも信仰に近いような。何がキミをそうさせるのだと、気になりました。

そういえば、探偵くんと棗さん。「他のあの作品に似ているね」っていういい方は好きじゃないのですが、坂木司先生の<ひきこもり探偵>の坂木と鳥井を思い出しました。

キャラクター性は似てないし、<ひきこもり探偵>の2人のほうがちゃんと人間関係築いたし全然違うのですが。ひとりがひとりに対して信仰のような感情を持っているところが似ているなぁと、思い出していました。

友人信仰。どういうジャンルなんだ、それは。

 

あとはそうだなー。気になったというか、たぶんそういう手法?なんではないかと思ったんですが、句読点が多いなーと。

紅玉先生の<ブランコ乗りのサン=テグジュペリ>も一人称で、アンデルセンのパートも同じような句読点の使われ方がされていたのですが。これはたぶん、歌うように節をつけて思考する、彼女の言葉を音にする表現するために使っていたのかなぁと解釈。

対する<現代詩人探偵>の探偵くんは、つっかえつっかえ、言葉を探して選んで搾り出しているイメージ。大丈夫?息してる?というような、なんかもう、目の前に探偵くんがいたら自分のシャツの胸元をずっと握ってるんじゃないかと思うくらい苦しげな句読点でした。キミ、もう少し楽に生きていいよ・・・

 

好きだなーと感じる作品ほど、読了後にいろいろと考えたり浸ったりする質なので感想文書くの楽しいです。だらだらと長いだけですけれど。

<現代詩人探偵>。面白かった!とオススメできる作品ではないですが、私は好きです、と言いたい作品。

たったひとつ気になるのは、最後まで書かれなかった探偵くんの詩。でも、このお話で彼の詩が紙面に書かれるのは、彼が死んだときな気がするのでそれはなくてもいいのかなとも思います。棗さんが主人公になったバージョンがあれば、彼が諳んじそうですしね。楽しみに待ってます。

 

ご興味ある方は是非是非。ただし、精神的に上向きの時に読むのをオススメします。落ち込んでるときに読むと、引き摺られますぞ!